2006年晩夏、全日本ライフセービング選手権大会が藤原市の片瀬西浜海岸で行なわれた。西浜を拠点に活動するライフセービングクラブ、西浜SLSCは、見事ホームでの総合優勝を果たしている。西浜SLSCは、1963年に日本で初めて設立されたライフガード組織。
原伸輔は、その伝統あるクラブの事務局を務めている。
ビーチで人命救助を行なうヒーロー ―― そんなイメージを抱きながら、わたしは彼と対面した。
そのイメージをやんわりと拒否するように、話し始めた。
「溺れたひとを助けたことに誇りを感じてはいけないんです。
勘違いしないでほしいのは、ライフセーバー本来の使命は、人命救助よりも事故を未然に防ぐことにあるんです」
原がライフセービングの世界に入ったのは9年前。今年、10シーズンの節目を迎える。
彼は子どものころから海に接して育ったわけではない。自動車レースに夢中だった彼にとって、むしろ海は遠い存在だったと言える。設計士になることが、子どものころの夢だった。そして船の設計を学ぶために、大学では海洋学部に進学していた。
そこで出会った恩師は原に、机上での学びの前に海にじかに触れることをすすめた。海自体というよりも、眼を輝かせて海を語る恩師に惹かれて、海への第一歩を踏み出した。その海で、彼はライフセービングと出会っている。
「きっとヒーローに憧れてたんですね」
ライフセービングの世界に入っていった率直な動機を、こう振り返っている。
だが、就職の時期を迎えた原には、海を仕事場と捉える意識はなかった。卒業後は子どものころからの夢をかなえるために、自動車メーカーでエンジンの設計にたずさわっている。
しかし、自分のなかで海の存在が大きくなるのを感じていた。海のことが、常に頭をよぎる。
「海といっても、ライフセービングのことばかり。パトロール大変だろうなとか考えちゃうんです、仕事中に。
サーフィンとかで海に関わることもできるんですけど、ぼくはそれに満足できなかった。
それで自覚したんです。自分はサーファーでも何でもない、ライフセーバーなんだって」
心の声が教えた道は、プロのライフセーバーになることだった。だが、しだいに大きくなる声に従う決心ができるまでに、就職して3年が過ぎていた。
自分の生き方に迷いながらがんばり続けた仕事を辞め、原はライフセーバーとして、チャレンジの日々に飛び込んでいった。
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